1955年にFRANK BELLが、ケンブリッジに語学学校を開校し、ベル教育財団として、大学街ケンブリッジで最も信頼のおける語学学校としての地位を保ち続けている。常に多くの国からの生徒を受け入れており、BELLを通して築かれる人脈が、卒業後のビジネスや政治の世界での人脈として活かされていることも高く評価されている。
ロケーション | ロンドンからは、キングスクロス駅出発のノンストップの列車で約50分。 |
住 所 | 1 Red Cross Lane, Cambridge, CB2 0QU |
英国留学委員会を通してシニア留学を実現させた澤部房枝さんが、2年間学んだベルスクールにメモリアルベンチを寄贈されました。
最近でこそ、シニアの留学が増えていますが、澤部さんが英国留学委員会に相談にこられた頃は、60歳を過ぎてからの語学留学は、レアケースでした。いくつかの学校の中から、ベル・ケンブリッジ校を選び渡英されたのですが、受け入れ側の学校にしても、珍しい生徒さんだったに違いありません。
10代後半から20代前半の生徒さんで構成されているクラスの中で、60歳になった生徒が勉強するのですから、澤部さんにも緊張感があったでしょうし、受け入れ側の学校としても、若干の心配はあったのでしょう。しかし、それは、杞憂に終わりました。
クラスメートと澤部さんは、お互いをファーストネームで呼びあい、若い生徒さんたちも、同世代の友人とまったく変わらず接してくれていました。澤部さんも、新しいことを吸収していくことに貪欲で、年齢によるハンデをステイ先に戻ってからの勉強でカバーされるなど、その努力には、敬服させらたものです。深夜まで勉強を続ける澤部さんを心配して、ホストマザーが『時には、気を抜いて、遊んでもいいのではないかしら』と声をかけてくださったとか。
ベルスクールも、澤部さんの勤勉さが他の若い学生に良い影響を与えていることを実感され、今後もシニア留学生を積極的に受け入れたいとの声がリクルート担当者からあがるようになりました。
こうして、何度か日本に戻る時期をはさんで約2年間ベルで過ごした留学生活は、澤部さんにとって、今でも光り輝いている時間なのでしょう。その後、短歌をたしなむようになられた澤部さんは、英国での留学生活を多く詠まれています。昨年出版された歌集『ナポレオンの虫歯』の中にも、ケンブリッジでの暮らしを詠んだ歌がいくつもあります。
十八歳の受験の記憶うすれゆく還暦にして志学ふたたび
級友も教師も遥か年若くわが老眼の苦労を知らず
気ままなるアラブの王子 朝風呂に二時間かかりて遅刻常習
ケム川をくだる平底船(パント)に寝ころべり ああ二十歳なら帰らぬものを
メモリアルベンチには、この歌集からの一首をプレートに刻むことができました。
※ 澤部房枝さんから後輩におくるメッセージ ※
1995年5月~1998年12月まで、途中2回の帰国をはさんで、ちょうど2年間をベルランゲージスクール、ケンブリッジ校 (以下ベルスクールと省略)に学びました。高校の社会科教諭を定年退職したばかりで、何の予備知識もない私に、留学先の選定から入学、渡航手続きの一切とその後のケアまで、行き届いたサポートをして下さったのが、英国留学委員会の木村道子さんでした。
他の語学校を知らないので、比較は出来ませんし、今となっては古い情報ばかりですが、元教員の眼で見たベルスクールの長所がいくつかあります。
- 生徒の管理とケアが行き届いている
生徒の出身国は、当時はアラブ諸国(男子のみ)、南米、アジア(特にタイと日本)が多かった。
国や民族によっては時間にルーズな面がみられますが、毎日の出欠と遅刻状況を把握して、必要があれば保護者にすぐ連絡します。
2年間も在籍する、ましてシニアの生徒は珍しく、大抵は半年前後で入れ替わり、平均21~22歳の若者でした。 - 授業内容が精選され、指導が厳しい
遅刻者は入室させず、私語を許さない。経験豊富な教師による、よく練られた教案の授業は無駄がありません。ホームワークの出ない日はなく、月1回は全学で進級テストが実施されます。 - 恵まれた自然環境
ケンブリッジは落ち着いたたたずまいの、歴史の古い学園都市ですが、中でもベルスクールは、広大な敷地に旧領主の館のような本館と、付属施設が揃っている、とても贅沢な環境です。
林に囲まれてフットボールとテニスのコート、牧場や馬場があります。冬でも青々とした芝生は、一年中庭師が手入れを怠らず、栗鼠が走り、小鳥が啼き、季節の花が咲き乱れ、蜜蜂の楽園です。 - 週末の楽しみ
授業は月~木が全日、金は午前中なので、週末の2日半が有効に使えて、学校がスポーツ、観劇、遠足、宿泊旅行などの企画をたて、自由参加できます。この他、毎月1回は、ロンドンへバスで連れて行ってくれます。
朝10時にトラファルガースクエアーで下車し、終日自由行動で、夕刻6時にバスが迎えに来ます。
学内に旅行代理店のオフィスがあり、個人旅行や観劇のチケットの手配が容易でした。 - ホームステイ
個室(鍵は無し)に机と椅子、スタンド、ベッドが基準の備品です。
部屋の広さは、日本式にいえば、4畳半~10畳までの差があります。
朝食、夕食と休日の昼食を提供する契約です。
ウイークデイの昼は学食で、ベルスクールの納入金には、授業料と学食代とホームステイ費用が含まれています。
(英国留学委員会注:現在は、昼食代金については、事前納入するかどうかを選ぶことができます)
部屋の掃除、洗濯、アイロン掛けもすべてやってもらえるので、主婦の身には天国のような待遇でした。
ただ、家庭によって食事の質や、入浴できる回数に格差がありますが、ステイ先は語学校が割り振るので選べません。
運としかいえないのです。
私の場合、最初の家庭は、六十代の年金生活の夫婦と息子1人、犬1匹でした。
部屋が狭く、寝具と食事が質素で、何より入浴が週1回で時刻も決められており、その時間帯に在宅でないと、2週間チャンスがないのに困惑しました。
4ヶ月後に移った先は、五十代の公務員の家庭で、中学生の娘が1人いました。
10畳間にソファーとTVもあり、どうしてこれが同一料金なのか?謎でした。入浴は毎晩可能で、大きなバスタブにバブルの入浴剤を入れて楽しみました。
ここの夫人は、デリア・スミスのクッキングブックを見ては、日替わりの料理を出して下さるので、イギリスの食はまずい、という俗説は通用しませんでた。
途中の2度の帰国の際にも、荷物を預けたままにして、いつもこの家庭に戻れたのは実に幸運だったと思います。
現在に至るまで、このご夫婦とは交流があり、今秋には3回目の来日をされる予定です。
こうして親しんだケンブリッジの街とベルスクールは、私にとって、第二の故郷とも言える特別な場所になりました。
そこでこのご夫婦と相談の上、私の死後に感謝をこめて、メモリアルベンチをベルスクールに寄贈する予定でした。
昨年の十月に、私は初めての歌集、『ナポレオンの虫歯』を出版しましたが、その中にケンブリッジの思い出を詠んだ80首もあります。身辺整理に励む年齢となりましたので、ベンチも、と考えて、英国留学委員会の木村さんに、ご迷惑をかえりみずご相談したところ、たちまちベルスクールに話をつけて頂きました。
その結果、歌集からベルスクールにゆかりの一首として、<くつろぎて生徒の椅子に座りをり教はる日日のかくも楽しき>を刻んだベンチが、本年春に実現しました。人生最後の夢もこうして叶えられた今、木村さんを始め、これまでお世話になった大勢の方がたに心よりの感謝を捧げます。